聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

ポッドキャスト 日々新しく#01 恐れないでいなさい

日々新しくというポッドキャスト の配信を、

新しく始めることになりました。

次のリンクからどうぞ。

Love Joy Peace Church キリスト教会: 日々新しく #01 20年8月10日 on Apple Podcasts

 

こちらには配信されている内容を、

文字に起こして掲載していきます。

 

早速今日のメッセージですが、まず今日の聖書の1節を紹介したいと思います。

イザヤ書41章10節です。恐るな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


今日は恐れないでいなさいというテーマでお話をしていきます。先ほど読んだ聖書の1節では、恐るな。という言葉から始まっています。恐る必要はありませんと語るのです。何故恐る必要はないのですか。わたしがあなたとともにいるからだということです。わたしとは神様のことを指しています。神様ご自身が今日もあなたと一緒にいてくださるから、だからあなたは恐る必要は全くないということです。


恐るという言葉には不安とか心配とか悩みとか、そういう意味も含まれています。不安になる必要はない。心配する必要はない。思い悩む必要はありませんということです。どうでしょうか。もしかしたらこの放送をお聞きの方々の中に、恐れの中で、不安の中で、心配しながら、思い煩いながら今日も朝を迎えているという方がいるかもしれません。


いや私たちがこの世界を生きているならば、少なからず心配事があり、不安があり、思い煩ってしまう、恐れてしまうということがあるでしょう。ある特定の人だけではなく、この世界に生きる全ての人が、様々な思いの中で、悩みながら不安を感じながら生きているのではないかと思うのです。


もちろんそれは私も含めてです。私自身は神様を信じる者であり、聖書を読み、聖書を学ぶ者であり、ゆえに先ほど読んだ聖書の1節は、何度も繰り返して読んで、暗記できてしまうほどであります。しかしだからと言って、私の人生から恐ることや不安なことが無くなってしまうのかと言うと、決してそんなことはないということです。


私たちはいくら神様を信じたとしても、聖書の言葉を100回読んでも、1000回読んでも、暗記するほどであったとしても、この世界を生きている限りにおいて、様々なことで悩まされ、時には心配で夜も眠ることができないということが起こるのです。


特に今はコロナ禍にあって、いつ収束するのかもわからないという、第二波第三波と続いいていくかもしれないという、そんな状況にあって、これから先の将来について考える時に、不安で心配でということがあるでしょう。


もし今日まさしく恐れや不安の中にいるということならば、そのような方々のために、聖書の1節は力強く語っていてくださいます。

恐るな。わたしがあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め。あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守ると。

なんという力強い約束の御言葉でしょうか。


私たちはそのように語っていてくださる神様の言葉に信頼をして良いのです。そのように語っていてくださる神様に委ねて良いのです。自分でどうすることもできない状況にあって、私たちは神様に全ての状況をお任せして良いのです。神様が語ってくださっているこの約束を信じて、こう告白することです。神様はどうかこの状況から私を守ってください。この状況から私を助けてください。私を守ると語られる神様を信じます。このように告白することです。するとその瞬間に私たちの心には平安が訪れるはずです。


例えばこういうことがありました。私は結婚していて既に20年が経っています。現在私たちの夫婦には1歳を過ぎた息子がいるのですが、なんと神様は結婚してから20年間子供を与えてくださいませんでした。これ以上子供が与えられることは無理かなと考えていた時、2018年6月に子供の妊娠が判明したのです。待望の子供です。20年間待ちに待ってようやく子供が与えられました。


ところが妊娠が分かってからおそらく2ヶ月後ぐらいだったと思いますが、妻に出血が起こり止まらないという状況が起こりました。私たちはすぐに車に乗って病院へ向かいました。20年待ってようやく与えられた子供、このまま顔を見ることもできなく天国に行ってしまうのだろうかという、そういう思いが頭の中をよぎります。妻もただただ涙を流しているという状況でした。どうしてですか神様、という思いが私の心と思いの中に浮かんできます。しかしその時にこの御言葉が思い起こされたのです。恐るな。という御言葉です。わたしがあなたを守るという御言葉です。


その瞬間に私は考えました。そうだ。この子は神様の子供だ。だから神様がこの子のことを守ってくださる。助けてくださる。そう考えることができました。そしてこう祈りました。神様は、全てのことをあなたの委ねます。あなたにお任せいたします。すると、私の心には大丈夫だという安心感が与えられてきました。


病院について診察を受けました。全く問題ありませんでした。神様が守っていてくださいました。神様がいつもこの子のことを神様ご自身の義の右の手で助けてくださっていました。2019年1月無事に子供を出産し、現在1歳半が過ぎたところです。とても元気に育っていてくれています。神様の守り、神様の助けというものが、いつもこの子にあるのだなと、息子を見ながら私はいつもそのことを思わされているのです。


神様を信じ、イエス様を信じたとしても、この世界を生きている限りにおいては、恐ることや不安になることは起こるのです。それは信じていても、信じていなくても関係なく起こることです。


しかしその中にあって、神様を信じる私たちには、これら全てを神様に委ねることができる、神様にお任せすることができる、神様に祈ることができるという、特別な祝福が与えられていることを感謝するのです。


今日も神様は私たちに恐るなと語ってくださっています。何故恐る必要はありませんか。神様が今日も私たちとともにいてくださり、そして助けてくださり、守ってくださるからです。だから私たちは今日も恐れないで、心には安心感を持って生きることができるのです。皆様の今日1日が、神様とともに平安な1日となることをお祈りいたします。