聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

誰が救われることができるでしょう 聖書の黙想

今日の聖書黙想 21年3月3日

マタイ19章23〜26節

 

エス様は弟子たちに言われました。

金持ちが天の御国に入るのは難しいと。

更に続けてこうも言われました。

金持ちが神の国に入るよりは、

らくだが針の穴を通るほうが易しいと。

 

金持ちがいかに神の国に入ることが難しいのか、

それを教えている内容であります。

 

それを聞いて弟子たちは驚きました。

それでは、誰が救われることができるでしょうと。

 

もしかしたら当時の常識の中で、

神の国に入る条件の一つとして、

金持ちであることと考えられていたかもしれません。

 

弟子たちもそう考えていたのですから、

エス様の言われたことに驚かれたのです。

金持ちが救われないならば、

それでは誰が救われますかと。

 

エス様は答えます。

それは人にはできないことですが、

神にはどんなことでもできるのですと。

 

ここで今日2つのことを学びます。

 

まず1つ目に、

神の国に入るためには、

金持ちである必要はないということです。

 

もっと言えば、

あなたが何を持っているのか、

どんな地位を得ているのか、

どんな影響力を持っているのか、

どれだけ素晴らしい働きをされたのか、

どれだけ人々が驚くような業績を残されたのか、

 

目に見える何かによって、

救いが決定されるのではないということです。

 

続けて2つ目には、

では救いはどのように決まるのか、

それは私達の側でできることではなく、

神様が決定されることであるということです。

私達の救いは神様の領域であるということです。

 

すなわち、

神様が救ってくださるのでなければ、

私達の側でできることは何もないということです。

 

神の国に入るということは、

それほど尊いことであるのです。

 

私達が何か代価を払って入ることができるという、

そんな安価なものではないということです。

 

ポルシェを買うとか、

ランボルギーニを買うとか、

フェラーリを買うとか、

 

そんなレベルのお話ではないということです。

 

私達がいくら努力して入れない、

それが神の国であるということです。

 

神様が救ってくださらなければ、

神様の側で働いてくださらなければ、

私達ができることを何もないということです。

 

今日の結論です。

 

私達の救いを決定するのは神様です。

だから私達ができることがあるとすれば、

神様を見上げ、神様を愛し、神様とともに生きること、

このことを今日も慕い求めることであります。

 

間違ってならないことは、

金持ちになることが悪ではありません。

何かたくさんのものを持つことが、

悪いことであるというお話ではありません。

 

今日の聖書が言いたいことは、

それらが救いを決定しないということです。

いくら持っていてもそれが神の国を決定する、

そうではないということを強調するお話です。

 

誰が救われることができるのでしょうか。

 

今この瞬間に神様を見上げ、

今日も一日神様と生きることを決心する人です。