聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

キリスト教とは② 聖書が神の言葉であると信じている

今日はキリスト教とはについて第2回目の投稿です。

 

※約3800文字の記事です。

 

はじめに

 

前回の投稿ではキリスト教とはというテーマで、

第1回目の記事を書かせていただきました。

 

具体的にはキリスト教とは何を信じているのか、

その概要的な部分を7つのテーマで説明しました。

 

その7つのテーマがこちらになります。 

  1. 聖書が神の言葉であると信じている。
  2. 天地万物は神によって創造されたことを信じている。
  3. 人は全てが罪人となってしまったことを信じている。
  4. 罪人を救うためにキリストが来られたことを信じている。
  5. キリストの十字架による死と復活が私のためのものであると信じている。
  6. キリストを信じる者に永遠のいのちが与えられることを信じている。
  7. キリストが再び来られることを信じている。

もしよければこちらのリンクからどうぞ。

 

seisyonosusume.hatenablog.com

 

そこで第2回目の今日の投稿からは、

その7つのテーマについてさらに深掘りし、

一つ一つを詳しく説明しようと思っています。

 

キリスト教とはのシリーズの投稿を通して、

多くの方がキリスト教について知ることができ、

最終的に信仰へと導かれたらと願っています。

 

本日は聖書が神の言葉であると信じているというテーマです。

 

それでは中身に入っていきましょう。

 

 

聖書が神の言葉であると信じている

聖書とはどういう書物か 概要について

聖書という書物についてまず概要を説明しようと思います。

 

聖書とは66巻の書簡が一つに合わさったものです。

大まかには2つに分けることができ、

旧約聖書新約聖書であります。

 

旧約聖書の中には39巻の書簡が含まれており、

新約聖書の中には27巻の書簡が含まれています。

 

旧約聖書の中でよく知られている書簡と言えば、

創世記とか、出エジプト記とか、

詩篇箴言などが知られているところかなと思います。

これら以外にも35の書簡が旧約聖書に含まれています。

 

新約聖書の中でよく知られている書簡と言えば、

マタイによる福音書ヨハネの黙示録とかでしょうか。

これらの書簡以外にも25の書簡が新約聖書に含まれています。

 

旧約聖書の39巻と新約聖書の27巻を合わせた、

66巻の書物を一冊にまとめたものが聖書であります。

 

ちなみに聖書という書物は、

世界の言語(約3000語以上)に翻訳されていて、

一年に少なくても5000万冊以上が売られているという、

有史以来不動の大ベストセラーの本となっています。

 

有史以来多くの人物が手にし影響を受けてきた聖書、

ぜひ皆様も手に取って読んでみてはいかがでしょうか。

 

 

アプリで聖書を聴くこともできます。

聴くドラマ聖書というアプリです。

有名な俳優さんたちによる迫真の演技によって、

聖書の言葉が臨場感を持って聴く人々に迫ってきます。

聴くドラマ聖書

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聖書とは誰によっていつ書かれたのか

まず誰によって書かれたということですが、

40名の人々によって書かれたものであります。

 

代表的な人物の名をあげるならば、

モーセであり、ダビデであり、パウロです。

これ以外にも多くの人物によって記されたものです。

 

その40名の人々の中には、

農夫や漁師や羊飼いであったり、

王様や政治家、学者や法律家など、

実に様々な立場の人々がいました。

 

また生きていた時代も国も言葉も状況も、

みなそれぞれ違っていました。

 

ではいつ書かれたのかということですが、

紀元前1400年頃から紀元後90年代まで、

実に1500年にわたって記録されたものです。

 

これだけ生きていた時代も違い、

言葉も文化も習慣も立場も国も、

全く違う状況にありながらでも、

驚くことがあってそれは、

 

彼らが1つの場所に集まって、

その内容をすり合わせて計画をしていたかのように、

聖書の内容には一貫性があり統一性があることです。

 

どうしてそういうことが起こるのでしょうか、

単なる偶然が重ねっていることでしょうか。

そうではありません。

 

実は聖書では本当の著者の存在を教えています。

 

それが神様の存在であります。

 

聖書の本当の著者

ここで1つ聖書の言葉を引用いたします。

 

テモテへの手紙第二3章16節

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

 

聖書とはどういう書物かを知るために、

ここにとても重要な言葉が記されています。

 

聖書はすべて、神の霊感によるもので

 

66巻の書簡が含まれている聖書は、

それら全てが神の霊感によって書かれていると、

聖書はそう教えているのであります。

 

どういうことでしょうか。

 

確かに聖書は先ほども言ったように、

40名もの人々によって記されたものです。

 

しかし重要なことが何かと言うと、

聖書に書かれてある内容の1つ1つは、

40名の人々の考えとか哲学とか、

そういうものが書かれてあるのではなくて、

 

この40人の人々に神の霊感が与えられて、

それによって書き記された内容であるということです。

 

神がその40名の人々を選び、

彼らに神ご自身の霊感を与えられたのです。

 

そしてその霊感を受けた人々がそれに動かされ、

聖書の言葉を書き記していったということです。

 

それが聖書の言葉として残されているということです。

 

すなわち聖書の本当の著者がいて、

それが神様という存在であるということです。

 

 

だから聖書の書かれている内容には、

統一性があるし一貫性があるということです。

 

生きていた時代が違っていても、

国や言葉や状況や立場が違っていても、

その本当の著者が神様であるがゆえに、

神様が彼らを通してご自身の言葉を書かれたがゆえに、

聖書には統一性があるし一貫性があるということです。

 

ゆえに聖書の言葉とは神の言葉と言えるのです。

 

神の言葉である聖書を読む人々に起こること

聖書が神の言葉であることについて、

ここまで学んでくることができました。

 

では実際に神の言葉に私たちが触れる時、

具体的にどんなことが起こるのかということです。

 

それについてはいくつもあるのですが、

今日はここで1つだけを明確にします。

 

それは人々が生きるということです。

 

聖書の言葉を1つ引用します。

 

マタイ4章4節

エスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。

 

ここを見れば人はパンだけで生きるのではないと、

神の口から出る一つ一つのことばによるとあります。

 

人が生きるためにはパンだけではない、

神の口から出ることばが必要であると教えています。

 

どういうことかというと、

 

人はパンさえあれば生きていけると考えています。

しかし実際はそうではないということです。

 

ではパンとは何でしょうか。

目に見えるものであります。

 

具体的に言えば、

 

食物であり、

飲料であり、

衣料であり、

学業であり、

職業であり、

物質であり、

地位であり、

名誉であり、

健康であり、

 

これ以外にもありますが、

一般的に私たちが必要だと考えているものです。

 

もちろんこれら全ては、

私たちが生きるために必要なものです。

どれも疎かにする内容ではありません。

 

しかしこれらのものがあったとしても、

神の言葉が失われているということならば、

その人は本当の意味で生きてはいないということ。

 

言い換えれば、

本当に意味での幸せな人生とはならないということです。

 

神の言葉によって生きるということが、

実は私たちにとって最も重要な部分であり、

これさえあるならば私たちは本当に幸いと思える、

心が満たされた人生になると教えているのです。

 

たとえ物資が少なかったとしても、

健康を損なってしまうことがあったとしても、

地位や名誉を得ることができなかったとしても、

学歴や職歴が人より劣っていたとしても、

 

神の言葉によって生きているということならば、

その人は心が満たされた幸いと思える人生となると、

聖書はそう教えているのであります。

 

私たちは目に見えるものをたくさん持っていても、

これで満足ということには残念ながらなりません。

 

目に見えるものを追い求めることには、

私たちは限界がないということです。

そこにあるのは満足感ではなく、

常に飢え渇いているという状況です。

 

しかしもし神の言葉さえ持っているならば、

神の言葉を握って生きているということならば、

その人は真に心が満たされている人生となるのです。

 

どうしてでしょうか。

人は神によって創造された存在だからです。

このテーマについては次回投稿するつもりです。

 

神によって創造された存在であるゆえに、

私たちにはどうしても神の言葉が必要なのです。

 

神の言葉が私たちの中に入るときに、

私たちは本当の意味で生きていると言える、

そういう人生を生きることができるのであります。

 

おわりに

 

最後までこの長文を読んでくださり感謝します。

おわりにもう一度読んでくれた皆さまにお勧めします。

 

聖書を読んでみてください。

あるいは聴いてみてください。

 

聖書の言葉が私たちの中に入る時、

私たちの心は不思議と平安で満たされます。

 

私たち人間の存在と神様の言葉との関係は、

切っても切り離すことのできないものであり、

どうしてもなくてはならないものであります。

 

このことを一人でも多くの方に、

体験していただきたいと願っています。

 

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