聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

キリスト教とは① 何を信じているのか 人生に起こる問題の本質を問う

今日はキリスト教とは一体何を信じているのか、

というテーマで書いていこうと思います。

 

※こちらの記事は約6000文字の長文です。

 

これはかなり壮大なテーマであるし、

ブログの1記事だけで説明できるような、

そんな簡単な内容ではありません。

 

しかしなるべく簡単にわかりやすく、

この記事を見るだけでキリスト教について、

その概要がわかるような記事にしたいと思っています。

 

はじめに

まずこの記事を書こうと思ったのは、

これからもしかしたらキリスト教に関心を持つ、

そのような人が増えるかもしれないと思ったからです。

 

コロナ時代を迎えて、

今までの常識とか価値観が通用しなくなり、

人々は様々な問題の中に置かれ苦しみもがいています。

 

それはもちろん私も同じであり、

今後どのように人生設計を計画していくべきか、

答えを見つけることができずに不安になったりするのです。

 

現実的なことを考えるならば、

不安や悩みに押しつぶされそうです。

 

しかしその中にあっても私の心には、

基本的には平安があるということです。

 

様々な試練や困難はあるのですが、

その中でも基本的には平安を保って、

生きていくことができるということです。

 

それは何故かというと、

聖書の御言葉という真理を持っているからです。

 

真理とは何があっても揺れ動かないものであり、

状況によって変化されるものを真理とは言いません。

 

聖書の御言葉を信じて生きるようになってから、

私はもう22年という年月が経過しましたが、

今も変わらず聖書の真理から大切なことを学び、

それが私の人生に大きな影響を与えています。

その最たるものは心の平安であり安心という部分です。

 

これから世界や個人の生活は残念ながら、

ますます難しい状況を迎えることになりそうです。

 

しかしその中にあっても、

私たちが力強く生きれる秘訣があって、

それが神を信じて生きることにあるのです。

真理をしっかり掴んで生きることにあるのです。

 

これから困難を迎える世界情勢にあって、

一人でも多くの方がこの真理と出会い、

心には平安があるという人生を生きて欲しい、

そう願ってこの記事を書こうと思っています。

 

 

 

キリスト教とは何を信じているのか

ではまずキリスト教とは具体的に何を信じているのか、

ということについて書いていこうと思います。

信じている内容の概要についてです。

 

  1. 聖書が神の言葉であると信じている。
  2. 天地万物は神によって創造されたことを信じている。
  3. 人は全てが罪人となってしまったことを信じている。
  4. 罪人を救うためにキリストが来られたことを信じている。
  5. キリストの十字架の死と復活が私のためのものであると信じている。
  6. キリストを信じる者に永遠のいのちが与えられることを信じている。
  7. キリストが再び来られることを信じている。

 

これ以外にも細かく言えばいくらでもあるのですが、

とりあえずこのことを知っておけば良いかと思います。

 

一つ一つ簡単ではありますが説明いたします。

(今後詳しい内容をテーマごとに1記事づつ書こうと思っています)

 

聖書が神の言葉であると信じている

キリスト教を信じている者は第一番目に、

聖書が神の言葉であると信じています。

 

聖書の中には聖書についてこういう説明があって、

 

聖書はすべて神の霊感によるものということです。

 

確かに聖書とは人々の手によって記されたものです。

しかしその背後には本当の著者が存在をしていて、

それが神という存在であるということです。

 

これを書き記した人々に神がご自身の霊感を与え、

その霊の感動を受けた人々がそのままを記した内容が、

聖書の言葉として書き記されているということです。

 

だから私たちは聖書を読むたびに、

毎回新しい力をいただくことができるのです。

 

聖書は永遠のベストセラーと言われていますが、

今も多くの人々の人生に影響を与え続けています。

 

それはひとえに聖書の言葉が神の言葉だからです。

神の言葉に触れる時私たちは新しい力をいただき、

問題の中にあっても心の平安を持って生きる力、

それが聖書の御言葉であるということです。

 

聖書が神の言葉であることについて、

さらに詳しい内容を書いてみました。

時間の許される時にでもどうぞ。

 

seisyonosusume.hatenablog.com

 

天地万物は神によって創造されたと信じている

キリスト教を信じている者は第二番目に、

天地万物は神によって創造されたと信じています。

別の言い方をすれば私たちの信じている神とは、

天地万物を創造された神であるということです。

 

天地万物が存在をする以前から、

神というお方が存在をしておられ、

そしてこの神によって天地万物が創造された。

この世界の歴史は神によって始まったということです。

 

偶然にある時気づけば、

このような世界が始まっていたのではなく、

神が初めに存在をしておられ、

そしてこの神によって世界が始められたのです。

 

この世界の始まりは神であるということです。

 

私たちは人間によって造り出された神ではなく、

人間も含め天地万物を創造された神を信じているのです。

 

人は全てが罪人となってしまったことを信じている

キリスト教を信じる者は第三番目に、

人は全てが罪人となってしまったことを信じています。

 

罪人ということを考える時に、

刑務所にお世話になるような犯罪を犯したとか、

人々に迷惑をかけるような悪いことをしたとか、

そのようにイメージされるのかと思います。

 

私も初めは罪人と言われても、

あまりよくその意味がわかりませんでした。

何故ならばそこまで悪いことをしていたとは、

私自身考えていなかったからです。

 

しかし聖書で言われる罪人の定義とは、

英語で説明するとわかりやすいのですが、

crimeとsinという違いがあるということです。

 

すなわち聖書で言われる罪とは、

sinを意味する言葉であるということです。

 

crimeとは一般的に考えられている罪の概念です。

例えば悪いことをした犯罪を犯したということです。

 

一方でsinとは何かというと、

宗教的な罪という意味で使われる言葉であり、

それを聖書的に解釈をしていくならば、

 

神を神とせず神から背を向けて生きること

 

を意味する内容であるということです。

 

これが聖書の言われる罪人の基本的な意味です。

もっと具体的に言うこともできるのですが、

長くなってしまうのでここまでにしておきます。

 

もし私たちが天地万物を創造された神を神とせず、

神に背を向けて生きているということならば、

それがすなわち罪人であるということです。

 

罪人を救うためにキリストが来られたことを信じている

キリスト教を信じる者は第四番目に、

罪人を救うためにキリストが来られたことを信じています。

 

私たちはイエスキリストというお方が、

神の子であり私たちを罪から救うことのできる、

一真の救い主であることを信じています。

 

罪人となってしまった人間には、

聖書が警告している大切なことがあって、

それは神の裁きを受けなければならないということです。

 

別の言葉で言い表すならば、

神に見捨てられてしまうということです。 

 

先ほど罪とは神を神とせずに、

神に背を向けることであるとありました。

 

別の言い方をすれば、

私たち人間が神を見捨てたということです。

神の存在を否定し神を無視して生きることです。

 

そうであるならば当然その人は、

神からも見捨てられてしまうということです。

それを神の裁きという言葉で表現するのです。

 

しかしこれが聖書の最も重要なメッセージですが、

エスキリストとはそのような罪人となった私たちが、

神の裁きから救われるために来られたお方である、

すなわち神と罪人との和解を成し遂げるために、

この世に来られたお方であということです。

 

もっと言えばイエスキリストという存在が、

罪人である私たちと神との間の仲介者となってくださり、

双方を和解へと導くという働きをしてくださったのです。

 

そのためにキリストが来られたことを、

私たちは信じているということです。

 

キリストの十字架による死と復活が私のためのものであると信じている

キリスト教を信じる者は第五番目、

キリストの十字架による死とその後の復活が、

私のためのものであることを信じています。

 

エスキリストは罪人である私たちと、

神との間を取り持つ仲介者として来られました。

エスキリストが双方の間に立たられることにより、

それを信じ受け入れる人には神との和解が成立します。

 

では具体的にイエスキリストが何をされたのか。

 

それが十字架で死なれることであり、

またその後三日目に復活をされたことです。

 

実はこれがキリスト教の中心であり、

心臓部分であるということです。

 

この部分を信じることがなければ、

私たちの信仰の中身は全くありません。

これさえ信じることができているならば、

私たちは神との和解が成立し、

救われた者として生きることができるのです。

 

キリストを信じる者とは何を信じているのか、

キリストが十字架で死なれ三日目に復活されたこと、

このことを信じているということであり、

これがキリスト教の心臓であるということです。

 

本当ならばこの部分についてそれぞれ詳しく、

ここで説明を行なっていきたいと考えるのですが、

それをするとかなり長くなってしまうために、

この部分は別の記事で詳しく書くことにします。

書きあがったらこちらでもお知らせいたします。

 

とりあえず今日はこれだけを知っていただきたいのです。

 

キリストが十字架で死に三日目に復活をされたことによって、

私たちの罪の問題が解決へと導かれたということであり、

また同時にそれは神との和解が成立されたということです。

 

では残り二つです。

 

キリストを信じる者に永遠のいのちが与えられることを信じている

キリスト教を信じる者は第六番目、

キリストを信じる者に対して、

永遠の命が与えられるということ、

このことを信じているということです。

 

先ほど人は罪人であり、

それゆえに神の裁きを受けなければならない、

神から見捨てられるということを見ました。

 

しかしその罪がイエスキリストにより解決され、

神との和解が成立されるということです。

 

神との和解が成立されたのならば、

これ以上その人は裁きの中にはいません。

裁きからの救いが与えられたということです。

 

これを私たちのわかりやすい言葉で言い表せば、

地獄の裁きから救われて天国へと導かれるという、

驚くべき祝福を受け取ることになるということです。

 

そしてこの天国へ導かれることを、

私たちは永遠のいのちという言葉を用います。

 

一つだけ知ってほしい大切なことは、

私たち人間は永遠に生きる存在として、

神によって創造されているということです。

 

私たちは死んでそれで終わりではありません。

死んだ後も私たちの魂は生きているのです。

死後の世界は存在をしているということです。

 

そしてその死後の世界においては、

二つの世界が存在をしていて、

それが天国と地獄であるということです。

 

死んだ後の私たちの魂は、

この二つのうちのどちらかに行くのです。

 

もし私たちが罪人のままでいるならば、

その人は地獄の裁きを受けなければなりません。

 

しかし罪人という状態から救われて、

神との和解が成立しているのならば、

その人は永遠のいのちを得て生きることになります。

すなわち天国で永遠に幸いな人生を生きるという約束です。

 

私たちキリストを信じる者は、

この世の世界が全てではないことを信じています。

だからもしこの世において苦しいことがあっても、

心には平安がある人生を生きることができるのです。

 

何故ならば永遠のいのちという希望が常にあるからです。

これが終わりではないことを知っているからです。

これがすべてではないことを知っているからです。

 

この部分について本当は、

もっと書きたいことがありますが、

今日はここまでにしたいと思います。

 

さていよいよ最後です。

 

キリストが再び来られることを信じている

キリスト教を信じる者は第七番目に、

エスキリストが再びこの世界に来られる、

このことを信じているということです。

 

エスキリストの再臨という言葉を使います。

 

では簡単にイエスキリストが再臨される時、

この世界には何が起こるのかというと、

この世界の終わりであるということです。

この世界が終わり新しい世界の誕生です。

 

新しい世界とはイエスキリストが王として立つ世界です。

 

すなわちそこにはもはや罪はありません。

罪がありませんからそれに付随して、

 

死もありません。

病もありません。

老いもありません。

孤独もありません。

競争もありません。

憎しみもありません。

恨み妬みもありません。

裁き合いもありません。

病原菌もありません。

戦争や貧困もありません。

 

そこにあるのは完全なる正義であり、

愛と喜びと平安だけが支配する世界です。

 

実は神様が天地創造をされた時に、

このような美しい世界を創造されていました。

 

ところがそれが人間の罪によって、

すなわち神から背を向けることによって、

完全に破壊をされてしまったということです。

 

しかし神様は再びこれを回復されます。

神様が初めに創造された美しい世界の回復です。

 

エスキリストを信じて生きる者は、

その世界において永遠に生きることになるのです。

そこにあるのは真の幸いであります。

 

このような希望が常にあるがゆえに、

今日も平安を持って生きることになります。

 

おわりに

 

私たちにはこの世を生きる限り問題があります。

様々な問題の前で打ちのめされてしまうのです。

 

しかし今日知ってほしい大切なことは、

私たちにとっての本当の問題とは何かということです。

実は目の前に起こっている問題が問題の本質ではなく、

 

神を神とせず神に背を向けて生きる

 

ここに私たちの問題の本質があるのです。

 

これを聖書では罪人と呼んでいるのですが、

この世界に起こっている様々な悲劇は実は、

罪人となってしまった人間に原因があるのです。

 

神様が創造された世界は美しい世界です。

 

しかし人間の罪がそれを破壊し、

問題だらけの世界を造ってしまったのです。

 

ところが神様はこのままで放っておかれません。

再び神様の創造された美しい世界に回復する、

その時を計画しておられるということです。

 

そしてそのために神様は、

エスキリストをこの世界に送られ、

神様の世界を破壊した原因である、

罪の問題の解決されたということです。

 

それが具体的に十字架の死と復活によって、

罪の問題の解決が成し遂げられたのです。

 

かなりの長文となってしまいましたが、

最後まで読んでくださり心より感謝申し上げます。

 

このブログに出会った全ての方々が、

様々な問題の中で格闘中にあっても、

心には平安があり安心感があるという、

真の幸いを得て生きられることを願っています。

 

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