聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

キリスト教とは③ 天地万物は神によって創造されたことを信じている

今日はキリスト教とはというテーマで、

第3回目の投稿となります。

 

※約4800文字の記事となっています。

 

キリスト教とはの過去記事はこちらになります。

 

キリスト教とは第1回目 

seisyonosusume.hatenablog.com

 

キリスト教とは第2回目

seisyonosusume.hatenablog.com

 

 

はじめに

現在シリーズでキリスト教とは何か。

キリスト教とは具体的に何を信じているのか。

というテーマで記事を書かせてもらっています。

 

キリスト教とは何を信じているのかの概要については、

第一回目の記事で書かせていただきました。

 

その概要はざっとこんな感じで7つのテーマです。

 

  1. 聖書が神の言葉であると信じている。
  2. 天地万物は神によって創造されたことを信じている。
  3. 人は全てが罪人となってしまったことを信じている。
  4. 罪人を救うためにキリストが来られたことを信じている。
  5. キリストの十字架による死と復活が私のためのものであると信じている。
  6. キリストを信じる者に永遠のいのちが与えられることを信じている。
  7. キリストが再び来られることを信じている。

 

前回第2回目の記事では1のテーマについて書きました。

今回は2のテーマについて記事を書こうと思います。

 

 

では早速中身に入っていきましょう。

 

神という存在について

まずはここから話を始めなければなりません。

神という存在について考えてみます。

 

世に生きる多くの人特に日日本人は、

こういう質問を持っていると思います。

 

神って本当に存在しているの?

 

もちろん私たちクリスチャンは、

この質問に対してYESと答えます。

神とは実在されている方であると信じるのです。

 

驚くことに聖書を見れば、

神が存在をしているのかどうかについて、

議論は一切なされていないということです。

 

当たり前に神という方が存在をしておられ、

そしてこの神によって天地万物が創造されたと、

聖書はそう教えているのであります。

 

神がいるのかいないのか、

多くの日本人にとっては重要な問題ですが、

聖書はその問題については触れることなく、

当然存在している方として記録されているのです。

 

だからといって日本人の中にも、

神の存在を認めていないことではありません。

日本には様々な神々の存在があると言われています。

 

八百万の神という言葉がありますが、

字の如く800万の神がいるということではなく、

それほど多くの神が存在をしているということです。

数え切ることができないほどの神というものが存在し、

日本人の多くはそれを信じているということです。

 

例えば日本のあらゆる所には、

神社仏閣が建てられています。

その中には神仏が祀られていると、

多くの人が信じているということです。

 

木や石や先祖を神として拝んだりもします。

また狐や狸やカエルまでも神として拝みます。

ある時には私たちと同じ人間をも、

神のような存在として讃えることがあるのです。

 

このように日本の中には実に多くの神が存在し、

人々はこの事実にあまり疑問を持たずに生活しています。

 

でも同時に神って本当に存在するのかという質問に対して、

多くの人が首を傾げてしまうのも事実であります。

 

多くの神々が存在しているにも関わらずに、

それらが本当に神なのかと問われると、

自信を持って神であるとは言えないという、

なんとも曖昧な立場にあるということです。

 

では聖書ではどう教えているのでしょうか。

 

神とは当然存在されるお方として書かれています。

はじめにも書いたようにそこに関する議論はありません。

神がいるのかいないのかの説明もなされていません。

当然存在されるお方として記録されているのです。

 

また聖書では神とは唯一であることを教えています。

神は神であるがゆえにお一方いればそれで十分であり、

何か不便でもあるかのように神々を必要とはしません。

 

では次のテーマでは聖書で語る神とは、

具体的にどのような神かについて考えます。

 

天地万物の創造者なる神

まず繰り返して語りたいことは、

聖書が語る神とは唯一なる神であります。

 

唯一であるとはこのお方以外に神と呼ばれるのは、

この世界の中に宇宙全体の中にも存在していない、

神は神お一方だけいれば十分であるということです。 

 

もちろん聖書の中では神について三位一体の神、

ということを教えている概念があります。

父と子と御霊なる神という考えです。

 

しかしこれは神が3人存在するということではなく、

3つの位がありながらもそれが一つであるということです。

 

実際この部分は難しいので今回はとりあえず、

聖書の語る神とは三位一体であり、

同時に唯一なる神である。

ということを理解してもらえたらと思います。

 

聖書が語る神とは唯一なる神であります。

 

またもう一つ今日はこれがメインテーマですが、

聖書で語られている神とはどのような神であるのか、

天地万物を創造された神であるということです。

 

聖書を一つ引用しましょう。

 

創世記1章1節

初めに、神が天と地を創造した。

 

これは聖書の一番はじめに記録されている言葉です。

聖書を開くとまずはじめにこの言葉と出会います。

 

初めに、神が天と地を創造した。

 

まずここからわかることは、

神というお方が初めに存在をされていたことです。

 

天地万物が創造される以前に、

すなわち私たちが現在生きている、

この世界が地上に現れる以前において、

神は既に存在をしておられたということです。

 

だからここからわかることは、

神とは初めから存在をしておられたお方であり、

ある日突然造られたような存在ではないということです。

 

初めから存在をしておられたお方であり、

自ら先に存在をされていたお方であるということです。

 

そしてそのお方によって何が行われたのか。

天地万物が創造されたということであります。

 

具体的な天地創造の内容については、

後ほど確認することにしたいと思います。

 

とにかくここで知ってほしいことは、

初めに存在をしておられた神によって、

天地万物この世界が創造されたということです。

 

すなわちこの世界の歴史は、

神によって始められたということです。

 

ある日突然気づけば、

このような世界があったことではなく、

 

神というお方が初めに存在をしておられ、

このお方によってこの世界が造られたということであり、

この世界の歴史の始まりは神にあるということであります。

 

そして聖書の天地創造の記録の中で、

明確に語られていることがあってそれは、

人間も神によってその時に創造されたということです。

 

すなわち私たち人間は、

神によって創造された被造物であったのです。

 

本当に感謝なことは、

私たち人間は猿から進化して、

今のような形姿になったのではないということです。

 

初めから神によって人間として創造されたということです。

 

猿は猿として創造されていて、

犬は犬として創造されていて、

猫は猫として創造されていて、

人間は人間として創造されていた、

これが聖書が明確に語られることであり、

これが聖書的価値観であるということです。

 

私たちの存在は偶然に存在をしているのではなく、

神によって創造された存在であることを教えるのです。

 

ここから何を知ることができますか。

 

この世界に生きる全ての人間が尊いことを教えます。

全ての人間が神によって創造された被造物であるゆえに、

神の目には高価で尊く大切な存在宝物であるということです。

 

私も神にとってそうであるように、

私の周りにいる人々もそうであります。

 

この記事を書いている時点において、

世界では人種差別について叫ばれています。

 

しかしもし私たちが聖書の価値観に戻るならば、

すなわち全ての人は神に創造された被造物であり、

その意味は全ての人が高価で尊い宝物であるという、

このことをしっかりと理解することが出来るならば、

 

現在起こっている人種差別はあってはならない、

全ての人間は黒くても白くても黄色でも平等である、

神に創造された大切な存在であると言えるのであります。

 

色や人種や文化や言葉や目に見える違いによって、

互いに差別をしあってはならないということです。

互いに裁きあってはならないということです。

 

聖書が語る神とは天地万物を創造された神である

 

そして私たち人間は神によって創造された被造物であり、

誰でもどんな人でも高価で尊い大切な存在である、

このことをぜひ知っていただきたいと願うのであります。

 

天地万物創造の具体的な中身

では具体的に神は天地万物の何を創造されたのでしょうか。

 

この部分は創世記1章を見れば具体的に記されていて、

全てを引用するとかなり長くなってしまうので、

簡単にここに記していきたいと思います。

 

第一日目 光

第二日目 空、水を上と下に分ける

第三日目 陸地と海とを分けられる、植物を生えさせる

第四日目 太陽、月、星、

第五日目 空の鳥、海の魚

第六日目 あらゆる動物、そして最後に人間

 

このように簡単ではありますが、

神はこれらのものを創造されたのです。

詳しくは聖書の創世記1章を読み確認ください。

 

ここで今日最後に注目してほしいことは、

全ての創造の最後に人間が創造されたことです。

 

実はここには大切な意味が含まれています。

 

すなわち全てのものを創造してから、

一番最後に人間を創造されたということです。

 

言い換えれば人間の尊さについて教えているのです。

 

例えば子供が妊娠したことを知った時、

その子供が誕生しても不便がないように、

親は全てを準備して誕生を待つということです。

 

それがベビーベッドであったり、

洋服とか肌着とか様々なものを準備するのです。

 

これから生まれてくる尊い子供のために、

親はしっかりと準備をするということです。

 

同じように神は人間がこの地上で生きるために、

全ての必要なものをあらかじめ準備され、

それが整ってから一番最後に人間を創造されたのです。

 

神にとって全ての被造物は尊いものであります。

 

しかしその中でも人間は特に尊い存在であり、

神にとって特別な存在であることを教えているのです。

 

先ほどの内容と繰り返しになりますが、

人間の存在とはそれほど尊いということを、

聖書は教えているのであります。

 

そして私たちにとって、

この聖書の価値観を土台として生きることが、

とても重要なこととなるということです。

 

どうして友達をいじめてはなりませんか?

子供たちに具体的にどう教えれば良いですか?

 

それはそのお友達も神によって創造された、

とても大切で高価で尊い存在だからです。

 

自分が神にとって高価で尊い宝物である、

同じようにお友達もそうであるということです。

 

神にとってはかけがえのない存在であり、

何にも変えがたいとても大切な存在であり、

だから互いにいじめたり暴力を振るったり、

誰かのものを奪ったりしてはならないということです。

 

何故人を殺す罪は重いのですか?

 

神によって創造された存在だからです。

神にとって高価で尊い宝物だからです。

 

神様にとっての宝物に、

私たちが傷をつけることをしてはならないのです。

 

何故人は自殺をしてはならないのですか?

 

あなたは神によって創造された、

高価で尊い宝物のような存在だからです。

神にとって特別に愛すべき存在だからです。

 

おわりに

最後にまとめます。

 

  1. 聖書の神は唯一なる神である

  2. 聖書の神は天地万物を創造された神である

  3. 私たち人間も神によって創造された被造物である

 

残念なことに多くの方は今もこの唯一の神を知らず、

本来神ではないものを神として拝んでいます。

 

神という名がついているから、

だから全てが神となるのではありません。

 

前回の第二回目のテーマでは、

聖書の言葉は神の言葉であることを見ました。

 

その神の言葉である聖書がこう語っているのです。

 

天地万物を創造された神は唯一なる神である

 

どうか全ての方々が真の神を知って、

正しい価値観の中で生きることを願っています。

そのためにこのブログを用いてくださいますように。

 

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