聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

神への愛から引き離そうとする力に注意せよ

今日の聖書黙想 20年5月4日

聖書箇所 申命記13章1〜11節

 

序論 今日の黙想の導入

今日の黙想を通して教えられることは、

神への愛から引き離そうとする力に対して、

私たちがしっかりと目を覚まして、

注意をしていくことについてです。

 

私たちが現在信じている信仰とは、

これからたとえどんなことが私たちに起ころうとも、

私たちがしっかりと神につながっているのなら、

神への愛から離れるということをしなければ、

最終的にそこにあるのは勝利であるということです。

 

天地万物を創造された神様、

全知全能であると言われた神様、

アルファでありオメガである神様、

このお方にしっかりと繋がっていれば、

私たちの人生に残されるのは勝利だけです。

 

このお方にさえしっかりと繋がっていれば、

私たちの人生に間違いはないということです。

 

しかしそのように生きる私たちに対して、

敵対をしてくる存在がいるということを、

今日の御言葉が教えてくれているのです。

私たちを神の愛から引き離そうとする力があって、

ときにその力に誘惑されることがあるのです。

 

ゆえに私たちはしっかりと日々目を覚まして、

神への愛から引き離そうとする存在を知り、

それに対してはっきりと拒絶をすることです。

 

今日はそのことについて御言葉から学びます。

 

イスラエルを試みるものたち

今日の御言葉を見れば、

イスラエルを真の神から引き離させ、

偶像の神々に仕え従うようにさせる為に、

間違った教えを語りイスラエルを誘惑する、

そんな存在が現れることを教えています。

 

1節の御言葉を見ればそれが、

預言者または夢見る者であると教えています。

 

また6節からの御言葉を見れば、

近親者の中からも現れると教えているのです。

 

一つずつ確認をしましょう。

まず預言者や夢見る者たちについてです。

 

申命記13章1〜2節

1 あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、

2 あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言っても、

 

ここで特に注目することがあり、

それはしるしと不思議を行いながら、

イスラエルを誘惑するということです。

 

人々が驚くような奇跡のわざを行いながら、

イスラエルの心をとらえてしまうのです。

そしてイスラエルを偶像の神々へと導くのです。

 

今この時代においても私たちの心を引きつけるような、

魅力的な言葉とか素晴らしい行いというものがあります。

 

この人が語る言葉ならば従っても間違いないと。

このような素晴らしい働きをしている人だから、

この人が間違ったことを言うことはないし、

間違った教えをおこなうはずがないということです。

 

もちろん私たちの心に力を与えてくれたり、

勇気や希望を与えてくれる存在というものは、

私たちにとってありがたい存在であると思います。

 

そのような人々も特に私たちを、

何かに陥れようとか思ってはおらず、

良いことのためと思って語り教えるのです。

 

しかし私たちがそこにはまり過ぎると、

神の存在を忘れてしまい神の声を聞くよりも、

その人の言葉を求めて生きるようになるのです。

 

神を追いかけるよりも、

その人を追いかけるのです。

 

神にすがるよりも、

その人にすがるのです。

 

そのようなカリスマ的な存在というものが、

常に世界の中には存在をしているのです。

 

私たちはそのような存在に、

足元すくわれることがないように注意することです。

 

神の言葉に聞くことを土台とし基準としなければ、

私たちの信仰は間違った方へ向かうことになります。

 

 

またもう一つ言われていることは近親者です。

 

申命記13章6節

あなたと母を同じくするあなたの兄弟、あるいはあなたの息子、娘、またはあなたの愛妻、またはあなたの無二の親友が、ひそかにあなたをそそのかして、「さあ、ほかの神々に仕えよう」と言うかもしれない。これは、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった神々で、

 

これもなかなか難しい問題であります。

 

実際聖書を見れば、

ソロモンという偉大なイスラエルの王がいましたが、

彼の晩年は偶像の神々に仕え堕落するという、

とても残念な晩年を迎えることになりました。

 

ソロモンほど神から祝福を受けた王はいませんでした。

その意味は神に熱心に従い生きた王であったということです。

しかし彼は自分の妻たちにそそのかされることになります。

結果的に彼は偶像の神々に仕えるようになるのです。

 

もちろんそれ以前に神に向かうよりも、

別のものに心を向けていたソロモンの問題です。

しかしそこに追い打ちをかけたのは、

ソロモンの妻たちであったということです。

ソロモンにとって近い関係にいる人でありました。

 

アダムとエバが罪を犯したことにおいても、

エバがアダムを誘惑したということもありますが、

アダムもエバの誘惑を拒否しなかったことにも問題ありです。

 

結局互いが互いを誘惑しあったことになるのです。

もしアダムが徹底して拒否をしていたのならば、

エバも食べる誘惑を断ち切ることができたでしょう。

 

このように近親であるからこその難しさ、

というものを教えられるのであります。

 

近親者であっても互いがしっかりと、

主の御言葉を土台とし生きるのでなければ、

互いを誘惑してしまう存在になり得るのです。

 

今日のメッセージ 主に従い主にすがれ

今日の結論は主に従い主にすがれということです。

主の御言葉に聞き御言葉を土台としていくことです。

主の教えを喜びとし昼も夜もその教えを口ずさむことです。

 

そのように生きる人は、

どんな誘惑が立ちはだかっても、

それらを断ち切り勝利できるのです。

間違った方向に進むことにはなりません。

間違った方向に進みそうになったとしても、

御言葉のある人は正しい場所に戻ることができるのです。

 

最後にとても大切なことです。

 

今私たちが生きるこの時代は、

終わりの時代であると言われています。

 

聖書の中にも終わりの時代があることを教えています。

 

終わりの時代の特徴の一つとして、

聖書が教える明確なことは何かというと、

預言者たちが現れるということです。

 

私たちの信仰を惑わすような、

間違った教えを語る人々が現れるのです。

 

その教えは私たちの心を納得させるような、

私たちに勇気を与えたり希望を与えたりという、

そのような素晴らしい教えであるということです。

聞き心地の良い教えたちであるということです。

 

悪は悪の姿で近づくのではありません。

天使のような姿で近づくのです。

羊のお面をかぶりながら近づくのです。

 

もし私たちが聖書黙想と祈りを、

日々怠っているということならば、

間違ったものに足元救われるということは、

必ず起こってしまうということです。

 

アダムとエバだからではなく、

ソロモンだったからではなく、

イスラエルだからではなく、

 

これらは私たち人間の姿を代表するものであり、

すなわち彼らの姿は私たちの姿なのです。

 

私たちが今日も惑わされずに生きるためには、

地道な毎日の積み重ねが必要となるのです。

御言葉からいつも御声を聞き祈りを捧げ、

神との一対一の交わりを大切にすることです。

 

本物を知っている人は、

偽りを見抜くことができるのです。

 

今日も1日主に従い主にすがることです。

 

結論の御言葉です。

 

申命記13章4節

あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。

 

神への愛から引き離そうとする力に注意して、

神に従い神にすがる中にある平安をもって、

今日という1日を生きれるようにと願うのです。

 

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