聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

先行き不透明な時代にあって心の平安を保つために必要な事

今日の聖書黙想 20年4月28日

聖書箇所 申命記11章1〜12節

 

今日も新しい1日が与えられました。

最近はずっと雨が降ったり、

気温も低かったりでしたが、

今日は久々に太陽の光が部屋に射し込む、

素晴らしい天気に恵まれています。

春らしさを感じられる日になりそうです。

 

自粛生活が続いていますが、

今日は少し外へ出て散歩でもと思います。

1歳になった息子も家の中に籠もりっぱなしで、

かなりストレスを感じているだろうと思います。

今日も主が全てを守られ導いてくださいますように。

 

さて今日の黙想に入ります。

 

今日の御言葉から与えられるメッセージは、

先行き不透明な時代を生きる中にあって、

今日に至るまでの私たちの人生の中において、

主のなされた全てを覚えて生きることの大切さです。

 

今日という日が私たちに与えられている事も、

ここに至るまでの主の守りと助けがあった故であり、

それら一つ一つのことを覚え心に留めるならば、

これから先も私たちは主の守りと助けがある事を信じ、

先行き不透明と思える時代の中であっても、

心には平安を保って生きていく事ができるという事です。

 

現在イスラエルが置かれている状況は、

いよいよ神様が与えると約束された地である、

カナンの地を前にしている状況であります。

これからいよいよイスラエルは、

カナンの地に入っていく事になります。

 

それを前にして神様は再び、

この時に至るまでイスラエルの上になされた、

主の御わざの数々を覚えさせるという事です。

 

どの様にして出エジプトへと導かれたのか、

荒野の生活において主が何をなされたのか、

 

一言でそれを言い表すのならば、

主の守りと助けはいつもイスラエルと共にあった、

と言うことができるのです。

 

カナンの地を前にしたイスラエルに対して、

神様は再び彼らにこの事を思い起こさせるのです。

そして彼らの心に留まらせるのです。

 

どれだけ素晴らしい主の御わざと働きが、

この時に至るまでイスラエルの上にあったのか、

それをしっかりと覚えていなさいという事です。

 

これらの事をしっかりと覚えて生きるのならば、

これから先も必要以上に恐れる事なく心配する事なく、

前進していくことができるという事です。

 

何故ならば今までも守り助けられた主は、

これから先もイスラエルと共にいてくださるからです。

昨日も今日も守られた神様は、

明日も変わる事なく今よりとこしえまで、

イスラエルを守ってくださるお方だからです。

 

確かにカナンの地に入る事に対して、

少しの不安もない事ではありません。

 

カナンにいる人々は体もイスラエルより大きく、

町々には高くそびえる城壁が立ちはだかっていて、

イスラエルの努力によってカナンに入ることは、

どう考えても不可能と思える状況にあるのです。

 

この世一般的に考えて、

イスラエルがカナンの地を得られることは、

奇跡と思える出来事となるということです。

 

しかし今まで奇跡をもってイスラエルを守られた主は、

これからも奇跡をもってイスラエルを導かれるのです。

 

昨日も今日も明日も今より永久まで変わらずに、

イスラエルと共にいて守り助けられるお方です。

 

この事を覚える時に、

イスラエルは今日も安心して、

カナンに向かって前進できるという事です。

 

 

そして今日私たちに与えられるメッセージは、

そのお方が私たちとも共にいてくださるという事です。

 

出エジプトをした後からカナンに入るまでの40年間、

イスラエルと共にいて彼らを守り助け導かれた神様が、

今この時代を生きる私たちとも共にいてくださり、

私たちの人生を守り助け導いてくださるという事です。

 

イスラエルの歩みに奇跡を行われた神様の御手のわざが、

今も私たちと共にあるのだというメッセージであります。

 

だから私たちは今日もその事を覚える時に、

心に平安をもって生きることができるのです。

 

イスラエルを守られ導かれた歴史的事実を通して、

私たちも今日そこに希望を置いて生きられるのです。

 

 

現代を生きる私たちはコロナの問題によって、

先行き不透明な状況というのが続いています。

 

多くの人がこれから先の人生について、

どうすれば良いのか思い悩んでいます。

何がもどかしいことかと言えば、

悩んでも考えでも心配しても、

正しい答えが見つからないことです。

 

世界に立てられているリーダーたちも、

日々暗中模索をしながらの舵取りをしています。

何が正しい答えかを見つけることができずにいます。

 

しかしその中にあっても、

神を信じる私たちに与えられている、

一つの明確な揺るぎない確信があります。

 

それは40年の荒野におけるイスラエルにおいて、

常に彼らを守り助け導かれた神様を覚える事であり、

そしてイスラエルの上にあった神様の守りと助けは、

今この時代を生きる私たちにもあるという確信です。

 

私たちが一つ忘れてはならない大切な事があります。

 

それは私たちの信じる神様は、

イスラエルに荒野を与えられたという事です。

彼らが荒野を通る事を許されたという事です。

荒野を通る事がないように導かれたのではなくて、

彼らにあえて荒野を通る事を与えられたのです。

 

私たちの信じる神様とは、

荒野を与えない神様ではありません。

荒野を与えられる神様です。

 

しかし同時に知るべき大切なことは、

神様は荒野の中で生きるイスラエルと共にいて、

いつも彼らを守り助け導かれたという事です。

 

神様とは荒野を与えないお方ではなく、

荒野の中で私たちを助けられるお方であります。

 

今私たちは今までになかった荒野を体験しています。

しかしその中にあっても神様の守りはあるのです。

 

神様の守りがなくなったから、

だから荒野に置かれているのではなくて、

荒野の中にあっても神様の守りはあるのです。

 

イスラエルを守られた神様を今日も覚える事です。

ここに私たちの平安があり希望があるのです。

 

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