聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

何があっても移り変わらない神の契約

今日の聖書黙想 20年4月26日

聖書箇所 申命記10章1〜11節

 

ハレルヤ!

新しい1週間が始まりました。

今週も祈りと御言葉によって、

主への感謝と賛美が満ち溢れる、

祝福の1週間である事を祈ります。

 

コロナの影響による自粛生活、

もうすぐ2ヶ月になろうとしています。

いつこの自粛生活が終わるのか、

先行き不透明な状況が続いています。

 

どこにでも自由に行き来していた事が、

当たり前ではなくなってしまったこの時、

もどかしさややりきれない思いでいっぱいですが、

これも主の許しの中でなされている事を信じ、

最後の最後まで主だけを見上げていく事ができれば、

そこに間違いなく勝利があると信じて歩むのみです。

 

一つの御言葉が昨日ある信仰者から送られてきました。

 

 

詩篇37篇5

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

 

 

もうこれしかないなと思わされます。

そうです。主に全てをゆだねる事です。

主だけを見上げ信頼して生きる事です。

必ず主が全てを成し遂げてくださいます。

 

今週も御言葉に励まされて歩めたらと、

そう願っているのであります。

 

さて今日の聖書黙想です。

 

今日の御言葉ではイスラエルに対して、

再び十戒が授けられる場面が記録されています。

 

モーセが1度目に十戒を受け取った時、

モーセは40日40夜ホレブの山の中に留まり、

神様との交わりを行なっていました。

そこで十の戒めを神様から受け取ったのです。

 

ところがその時にイスラエルの民は、

完全に堕落をしてしまったという事です。

 

リーダーであるモーセが、

彼らから40日40夜離れている状況にあって、

自分たちを導くリーダーがいなくなったと言って、

彼らは自分たちを導く神を造ろうということになり、

金の子牛すなわち偶像を造って拝み始めるのです。

神様の最も忌み嫌われる罪を彼らは犯してしまいます。

 

それを知った主なる神様は、

イスラエルを根絶やしにすると言われました。

イスラエルの堕落を知ったモーセは怒り狂い、

神様から与えられた十の戒めを書き記した、

二枚の板を投げつけて怒りをあらわにするのです。

 

その後モーセイスラエルの罪の赦しを願い、

更に彼は40日40夜断食を持って祈り捧げます。

神様の赦し神様のあわれみを切に願う祈りです。

 

神様はその祈りに耳を傾けてくださり、

イスラエルを根絶やしにする事を思い直されました。

 

本当に感謝なことは、

神様の最も忌み嫌われる罪を、

イスラエルの民が犯したのでありますが、

それでも神様は彼らを見捨てなかったことです。

もうお前たちを知らないと言って背を向けなかった事です。

 

神様はそれでもイスラエルを思い、

彼らに再び十の戒めの書かれてある、

二枚の石の板を与えるという事です。

その意味はイスラエルと交わした契約は、

今も有効である事を教えているのです。

 

一度はイスラエルの堕落のゆえに、

彼らを根絶やしにしようと決断されました。

しかしそれがモーセの祈りを通して、

神様が思い直されたという事です。

再び彼らに十の戒めを与えられるのです。

 

私たちの信じる神様とは、

どの様なお方でしょうか。

 

いつまでもあわれみ深く、

恵み深いお方であるという事です。

 

罪に対しては徹底して怒られます。

しかし同時にそのお方は赦しのお方です。

罪の悔い改めがあれば何度でもあわれみを注ぎ、

私たちを再び抱き寄せてくださるお方なのです。

 

だから私たちは今日も、

神を信じる者として生きる事ができるのです。

 

だから私たちは今日も、

神の前に立つ礼拝者として生きる事ができるのです。

 

もし神様のあわれみ深さがなければ、

神様の限りない恵みがなかったならば、

私の救いはもうすでに取り消されていた事でしょう。

 

それほど私は今だに、

神様の心を悲しめる罪を犯す存在です。

神様の喜びの器となりたいと願いつつも、

神様を悲しませてしまう器である事を思うのです。

 

しかしだからといって神様は、

私に対する救いを変更されることはありません。

一度結ばれたイエス様を通して交わされた契約は、

何があっても移り変わらない事を感謝するのです。

 

もちろんだからと言って、

何をしても良いのではありません。

罪の中で生き続けて良いではありません。

 

もし私たちがあわれみの神様を覚える時、

限りない恵みを与えてくださる神様を覚える時、

私たちはやがて罪の中から離れようと、

そう考えるようになると思うのです。

 

神様の喜びとなる器として、

更に造り変えられたいと願うようになるのです。

 

今日も変わらず私たちを愛される神様に感謝します。

 

今週も1週間私たちの切なる願い、

それは神様の喜びの器として生きられるように、

罪から離れ罪があれば悔い改めて、

神様と共に生きられる1週間であるようにという事です。

 

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