聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

神の御言葉が私たちを生かします

今日の聖書黙想 20年4月24日

聖書箇所 申命記9章9〜21節

 

今日も新しい1日が始まりました。

ここ最近私の住んでいるニュージャージーは、

肌寒い日々が続いています。

今日は雨降りの1日のようです。

 

コロナの影響で自粛生活が続いている中で、

1歳の息子の楽しみは1日2回のお外への散歩です。

しかし今日は雨降りでそれもできなそうです。

中々ストレスの溜まる日々でありますが、

御言葉に励まされながら歩めたらと思います。

 

また今日は早くも金曜日ですね。

1週間が過ぎ去るのが本当に早いです。

今日はこれから日曜日の礼拝のための、

メッセージの準備に入ろうと思います。

主が必要な御言葉をくださいますように。 

 

 

その前に今日の黙想です。

 

今日の御言葉では、

神に罪を犯した場面を見る事ができます。

イスラエルの民が偶像を造り、

神に背く罪を犯したしまったのです。

 

天地を造られた神以外を神とするという、

神の最も忌み嫌われる罪を犯すのです。

 

それを知った神はこう言われます。

 

申命記9章13〜14

13 さらに主はこう言われた。「わたしがこの民を見るのに、この民は実にうなじのこわい民だ。
14 わたしのするがままにさせよ。わたしは彼らを根絶やしにし、その名を天の下から消し去ろう。しかし、わたしはあなたを、彼らよりも強い、人数の多い国民としよう。」

 

まずここで言われていることは、

イスラエルの民についてこう言われます。

 

実にうなじのこわい民だ

 

うなじのこわいとは、

頑固、強情、手に負えない、

というような意味の言葉です。

 

イスラエルの民が神に対して、

本当に頑固で、強情で、手に負えない民だと、

そう教えているのであります。

 

神の力強い御手と伸ばされた腕とをもって、

出エジプトという奇跡的な体験をしました。

 

しかしそれにもかかわらずに、

彼らは神を信頼せず背いて生きるのです。

偶像を造り神の忌み嫌われる事を行うのです。

 

それに対して神は言われるのです。

 

彼らを根絶やしにし、

彼らの名を天の下から消し去る。

 

本当に恐ろしい言葉であります。

 

イスラエルにとって幸せな事は、

神の御言葉に従って生きる事です。

神の御言葉に従って生きるのかどうか、

それが彼らの幸せを決定するのです。

 

イスラエルを愛された神は、

イスラエルが幸いな日々を生きるために、

彼らに必要な御言葉、戒めを与えていたのです。

それは彼らに幸せな日々を与えるためだったのです。

 

しかし彼らは神の御言葉に背いて、

自分たちの心の赴くままに生きるのです。

その結果神からの裁きの言葉を受けるのです。

 

幸いなことにリーダーとして立つモーセが、

この時に断食を持って神にあわれみを求めました。

神はモーセの祈りを聞いてくださり、

イスラエルにあわれみを注いでくださいました。

 

今日私たちが受けるべきメッセージは、

神の御言葉の中で生きることこそ、

私たちにとって幸いな人生となるという事です。

 

私たちの幸いは目に見える何かを得るかどうか、

それによって決定をされることではなくて、

神の御言葉を聞きそれに従って生きることに、

私たちの本当の幸いがあると教えているのです。

 

目に見える何かはやがて過ぎ去るものです。

目に見える何かに完全完璧はありません。

この世にある全てはいつか去りゆくものです。

 

しかし天地が滅びたとしても、

神の言葉は永遠に立つと、

聖書はそう教えているのです。

 

コロナの問題によって、

今までの当たり前が見事に奪い去られている、

そんな状況に私たちは置かれているのです。

 

買い物に自由に行くこともできません。

ある人は仕事が奪われてしまいました。

ある人はビジネスが奪われてしまいました。

ある人は大切な家族が失われてしまいました。

これさえあればと考えていたものが、

見事に奪われてしまう状況にあります。

 

コロナという存在、

本当に憎い存在であります。

コロナを通して起きている状況を見る時に、

私たちは様々な怒りを覚えるのです。

 

しかし今この時こそ、

私たちが覚える大切な事は、

まず私たちの心を整える事です。

私たちの心が豊かになっていく事です。

 

多くのものが奪われてしまった、

そんな状況に置かれているのですが、

しかし私たちには永遠になくならない、

いつまでも立ち続ける神の御言葉がある。

 

聖書の中には御言葉は神の剣だと例えています。

神の剣である御言葉を握って生きるならば、

私たちはどんな問題にも勝利する事になります。

神の御言葉さえ私たちがしっかりと握るならば、

聖書が約束する事は永遠に生きるという約束です。

 

倒されたようでも倒れる事にはなりません。

もし倒れても私たちは何度でも、

御言葉によって立ち上がる事ができます。

 

神のことばは生きていて力があるとも、

聖書は語っているのです。

 

神の御言葉とともに永遠に立ち続ける幸いが、

私たちの人生に与えられる事を願います。

 

今日もどこかで苦しみ悲しみ、

寂しさを覚えている方々に、

神の御言葉が届けられますように。

御言葉にある幸いを発見し、

感謝と喜びが回復される事を祈るばかりです。

 

 

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