聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

極道として生きていた男の人生を変えた一つの出会い

今週のお題「会いたい人」

 

その方と出会うきっかけとなったのは、

私の父を通してでありました。

 

実は私の父は今から30年ほど前まで、

極道と呼ばれる世界で20年間生きていました。

父はその世界においてどんどん出世をし、

この世界に生きるために自分の存在があると、

そう思えるほど極道として

熱心に ← 笑

真面目に ← 意味不明

生きている父でありました。

 

自分はこのまま生きこのまま死ぬと、

そう考えていたということです。

極道として生きる自分が大好きだったのです。

 

そんな父に心境の変化が起こってきたのは、

ある方との出会いが与えられてからです。

 

その方と出会うことにより、

父の中に様々な変化が起こってきました。

 

一つの変化は罪が罪として、

自分の中に留まるようになったことです。

 

父は立場上罪の中で生きる者でした。

それが罪であるとわかっていても、

自分は極道の世界に生きる者だからと、

深く考えることなくただ過ぎ去りました。

 

しかしその方と出会ってから、

罪が罪として父の心の中に留まるのです。

 

こういうことをしてはいけない。

こんなこともしてはならないのだ。

こういう考えは良くない考えである。

 

父の中でこのような思いというものが、

日に日に大きくなってきたということです。

 

長い話のかなりの部分を端おりますが、

結果的に父は極道の世界から足を洗いました。

 

そして今までは自分の欲望を満たすために、

周りにいる人々を傷つけてでもという考えでしたが、

今は自分のためにという生き方をやめて、

その方のために生きる人生へと変えられました。

 

現在そのような父の周りには、

同じく闇の世界で生きていた人々が、

父と出会ったその方について教えてほしいと、

たくさんの人が集められているという状況です。

 

その方との出会いから、

父の信じられない人生、

完全に変えられた人生、

を生きることになるのです。

 

本当に感謝なことは、

そんな極道の父を無視せず、

そんな父を放っておくことをせず、

父を愛し父の人生を救ってくれたことです。

 

そして息子の私も24歳になった時に、

その方との出会いが与えられました。

 

あの出会いから22年が過ぎましたが、

この間どれだけ多くの喜びが与えられ、

幸いと思える日々を生きることができたか、

感謝してもしきれないほどのものです。

 

私の父は極道の世界をやめたことにより、

今まで得ていた富は全て消えてなくなり、

また極道の世界にいたからこそ持っていた、

力とか派手さとか格好良さとかというものも、

全て見事に消え去っていくことになりました。

 

この世にある一般的な価値観で考えるならば、

貧しい生活を送っている人生であると言えます。

 

しかしそんな父がいつも言うことがあります。

 

俺は今の人生が一番幸せだ。

この方と出会う以前の人生において、

こんなに幸せを感じたことはなかった。

 

極道の世界で生きていた時は、

富もあって力もあって極道という名前で、

どんなことでもできるような人生だった。

いわば極道という名前が神のようだった。

 

しかしあの頃の自分には、

今感じている幸せは全くなかった。

いやあの頃の自分にあったのは、

意地であり見栄であり欲望であり、

そこに全く平安とか安心はなかったと。

 

でも今は何も持っていなかったとしても、

この方に出会えたというだけで幸せだ。

この方に出会えたということだけで、

もう全てを得たかのような満足感があると。

 

 

今日もこの方は私とともにいてくれて、

私がこの方の名を呼ぶと大きな愛で、

いつでも私のことを包んでくださるお方です。

 

苦しい時もあります。

寂しい時もあります。

悲しみに置かれることもあります。

 

その度にこのお方は、

私の心にまず平安を下さいます。

そして大丈夫だと励ましてくださいます。

 

このお方との出会いによって、

私自身何度救われたことかわかりません。

 

私にとってこのお方とは、

人生の友であり、

時には父でもあり、

時には師でもあり、

時には主人でもあり、

時には希望であり、

時には光であり、

 

一言でこのお方は、

私にとって全てです。

 

このお方とは誰か。

 

 

エスキリストです。

 

 

エスキリストと出会って、

私の父は完全に変えられました。

 

父は現在キリスト教の牧師となり、

父と同じ境遇で生きていた方々に、

この素晴らしい出会いを提供するという、

とても素敵な仕事をおこなっています。

 

私も現在同じく教会の牧師となり、

人々がこの方と出会うことのために、

小さなお手伝いをさせてもらっています。

 

聖書を見ればこのお方はやがて、

再びこの世界に来られると教えます。

 

その時がいつであるのかわかりません。

 

しかし私は今日も、

顔と顔を見て会える時を楽しみにしつつ、

与えられている日を精一杯この方のために、

生きていくことができればと願っています。

 

今私が一番会いたいお方、

それは私や私の父の人生を救ってくれた、

エスキリストであります。