聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

仮庵の祭りとは喜びの祭り

今日の聖書黙想 20年5月11日

聖書箇所 申命記16章13〜22節

 

序論 黙想の導入部分

今日の御言葉では、

仮庵の祭りについての教えです。

イスラエルがカナンの地に入った時、

彼らは定められた日に仮庵の祭りを行い、

喜び楽しみなさいと教えられるのです。

 

仮庵の祭りを行うときの重要なポイントは、

喜び楽しむ、大いに喜ぶということです。

 

実はイスラエルが守るべき祭りとして、

七つの祭りについて聖書は教えています。

 

その七つの祭りの中でも、

特に三つの祭りを重要と考えていて、

 

その三つとは初めに過越の祭りであり、

次に七週の祭り、そして仮庵の祭りです。

 

仮庵の祭りとは一年の祭りの中で、

一番最後に行われる祭りであります。

 

すなわち最後は喜びであるということです。

 

仮庵の祭りに伴うものは、

いつも喜びであるということです。

 

エス様を信じて生きる私たちの人生には、

現実的に喜びとなる出来事ばかりではありません。

いや喜びと思えるよりも辛く苦しくもがきながらという、

そんな人生がこの世における人生であると思えるのです。

 

しかしこの世にあっては患難があり、

様々な試練が次々に起こるようでありますが、

でも最後に約束されているのは喜びであります。

 

エス様を信じて生きる者は、

その最後には必ず喜びが準備されている。

喜びが私たちに与えられる最終結果であります。

 

仮庵の祭りは私たちにこのことを教えています。

 

仮庵の祭りを行いなさい

今日の身言葉を見れば、

仮庵の祭りを行うように、

イスラエルに命じられています。

 

申命記16章13〜15節

13 あなたの打ち場とあなたの酒ぶねから、取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。

14 この祭りのときには、あなたも、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みのうちにいるレビ人、在留異国人、みなしご、やもめも共に喜びなさい。

15 あなたの神、主のために、主が選ぶ場所で、七日間、祭りをしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての収穫、あなたの手のすべてのわざを祝福されるからである。あなたは大いに喜びなさい。

 

今日の御言葉で特に注目することは、

14節も15節も喜びなさいという言葉を持って、

それぞれの節が閉められていることです。

 

すなわち仮庵の祭りとは、

喜びの祭りであるということです。

 

では何を喜びなさいということでしょうか。

15節にこう書かれてあります。

 

あなたの神、主が、あなたのすべての収穫、

あなたの手のすべてのわざを祝福されるからである。

 

神様がのカナンの地でのイスラエルの生活を、

全てにおいて祝福されるからであるからです。

 

神様がイスラエルの繰り返し語っていたことは、

カナンの地とは祝福の地であるということでした。

乳と蜜の流れる祝福が豊かにあるということです。

 

カナンの地とは神様の祝福のある地であり、

今に至るまで40年も荒野で生きた彼らにとっては、

まさしく楽園と言える地であるということです。

 

すなわち神様がイスラエルに対して準備している、

大いなる祝福をもって喜びなさいということです。

 

カナンに入るまでの荒野の40年の生活は、

それはイスラエルにとって仮庵でありました。

すなわち仮の住まいであり仮の生活でありました。

荒野の40年がイスラエルにとっての本番ではなく、

カナンの地に入ることによっていよいよ、

イスラエルの生活の本番が始まるということです。

 

そしてカナンの地における本番の生活において、

彼らは大いに祝福を受けて生きることができるのです。

すなわちそこには喜びしかないことを教えています。

 

荒野の生活は試練でありました。

患難と苦しみの連続でありました。

ある意味イスラエルに与えられた、

訓練の期間であったと言えるのです。

 

しかしカナンの地は彼らにとって、

祝福だけがあることを教えるのです。

 

今日のメッセージ 天の御国の喜び

イスラエルがカナンに入った時には、

仮庵の祭りとともに喜びなさいと教えます。

彼らがカナンの地で大いに祝福を受けるからです。

 

しかし実際はどうだったのでしょうか。

カナンの地においてもイスラエルは常に、

様々な戦いの中に置かれることになります。

決して祝福だけがあったことではありません。

喜びだけがあったということではないのです。

 

ではこの仮庵の祭りの喜びとは、

何を具体的に教えているのでしょうか。

 

それは天の御国における喜びであります。

 

私たちのこの世における人生とは、

先ほども言ったように試練の連続です。

イスラエルの荒野の生活と同じように、

様々な困難の中で苦しみもがきながらの人生です。

 

しかし私たちには希望があるのです。

試練はある。でも同時に希望があるのです。

それは天の御国という希望であります。

 

エス様を信じて生きる人々には、

この地上生涯を終えたのちに、

天の御国という祝福が準備されています。

 

私たちはそこで喜びとともに永遠に生きるのです。

そこにはもはや苦しみも悲しみもありません。

試練も患難もなく死も病も老いもありません。

疫病で苦しむこともなく、

そこにあるのは愛と喜びと平安だけであります。

主への賛美と感謝が満ち溢れる場所です。

 

実は私たちにとっては天の御国こそが、

本番の人生であると言えるのです。

 

この世にあっては患難があります。

しかし私たちは今日も喜びをもって、

この世界が生きていくことができます。

 

それはイエス様を信じる私たちには常に、

天の御国という希望が与えられているからです。

 

この世における人生は、

私たちにとっては仮庵の人生です。

愛と喜び平安に満ち溢れた世界、

主の祝福だけが豊かにある世界、

天の御国における人生こそ、

私たちにとっての本番の人生です。

 

今日もこの希望を胸にしっかりと抱き、

仮庵の生活においても喜び生きることです。

 

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