祈る人だけが体験できる領域がある
今日は聖書に登場するザカリヤという人物から、
祈りということについて学びたいと願います。
まず初めにザカリヤについてです。
聖書にはこう書かれてあります。
ルカによる福音書1章5〜7節
5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。
7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
ザカリヤとはエリサベツという女性の夫であり、
この夫婦の評判は極めて良いものでありました。
二人とも神の御前に正しく生き、
主の全ての戒めと定めとを落ち度なく
踏み行っていたと聖書は教えています。
素晴らしく敬虔な信仰者として聖書は語ります。
しかしそのような敬虔な信仰者夫婦にも、
一つの大きな乗り越えられない問題がありました。
それは二人に子がなかったということです。
しかも二人はもう歳をとっていました。
この世の常識から考えるのならば、
これ以上子を持つ望みはありませんでした。
しかしそんな状況にあって、
聖書には驚くべきことを記録しています。
ルカによる福音書1章13節
御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
ここで注目することは、
あなたの願いが聞かれたということです。
何を知ることができるのでしょうか。
なんとザカリヤ祈っていたということです。
何を祈っていましたか?
子が与えられることをです。
現実を見れば、
常識的に考えるならば、
彼らにはこれ以上子を持つ望みはありません。
しかしザカリヤはそれでも信じていました。
何を信じていましたか?
人にはできなことであっても、
神にはできないことはないということです。
そこでザカリヤはその信仰を持って、
諦めずに祈っていたということです。
現実がどうであれ、
人々がどう言っているかではなくて、
神にはできないことはないと信じて、
諦めずに祈り続けていたのです。
その結果彼らに子が与えられるのです。
その子の名をヨハネと名付けます。
後に聖書の中でバプテスマのヨハネとして、
大切な役割を担う人物として記録されています。
ここで私たちに与えられるメッセージです。
私たちの人生にも様々な問題が起こります。
しかしイエス様を信じ生きる私たちにとっては、
実は問題はもはや問題とはならないということです。
何故でしょうか?
私たちは問題を通して、
神の偉大なる力を体験することになるからです。
問題とは私たちにとってもはや問題ではなく、
問題が起こるからこそ神様への祈りと導かれ、
そしてその祈りの結果神の偉大な働きを体験するという、
驚くべき祝福を体験することになるのです。
このことを知った上で、
では私たちの問題とは何であるのか。
それは祈らないことです。
問題があることが問題なのではなく、
問題の中で祈らないことが問題であり、
祈りへと導かれるならばその結果は必ず、
神の偉大なる働きを見ることになるのです。
問題が問題となる理由は、
私たちが問題のために祈らないことです。
祈りの人は問題が襲ってきても、
これは私たちが神の偉大な働きを体験するために、
必要なものであるということを知っているのです。
だから私たちは問題が起こっても祈り、
問題が起こらなくても祈り、
祈りを持って日々を過ごすということです。
祈りとはクリスチャンである、
私たちに与えられている大きな特権です。
この特権を私たちは大いに用いることです。
用いることができる人だけが体験できる、
神の偉大なる働きがあるということです。