聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

祈る人だけが体験できる領域がある

今日は聖書に登場するザカリヤという人物から、

祈りということについて学びたいと願います。

 

まず初めにザカリヤについてです。

 

聖書にはこう書かれてあります。

 

ルカによる福音書1章5〜7節

5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。

6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。

7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。

 

ザカリヤとはエリサベツという女性の夫であり、

この夫婦の評判は極めて良いものでありました。

 

二人とも神の御前に正しく生き、

主の全ての戒めと定めとを落ち度なく

踏み行っていたと聖書は教えています。

 

素晴らしく敬虔な信仰者として聖書は語ります。

 

しかしそのような敬虔な信仰者夫婦にも、

一つの大きな乗り越えられない問題がありました。

 

それは二人に子がなかったということです。

しかも二人はもう歳をとっていました。

この世の常識から考えるのならば、

これ以上子を持つ望みはありませんでした。

 

しかしそんな状況にあって、

聖書には驚くべきことを記録しています。

 

ルカによる福音書1章13節

御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。

 

ここで注目することは、

あなたの願いが聞かれたということです。

 

何を知ることができるのでしょうか。

なんとザカリヤ祈っていたということです。

 

何を祈っていましたか?

 

子が与えられることをです。

 

現実を見れば、

常識的に考えるならば、

彼らにはこれ以上子を持つ望みはありません。

 

しかしザカリヤはそれでも信じていました。

 

何を信じていましたか?

 

人にはできなことであっても、

神にはできないことはないということです。

 

そこでザカリヤはその信仰を持って、

諦めずに祈っていたということです。

 

現実がどうであれ、

人々がどう言っているかではなくて、

神にはできないことはないと信じて、

諦めずに祈り続けていたのです。

 

その結果彼らに子が与えられるのです。

 

その子の名をヨハネと名付けます。

後に聖書の中でバプテスマのヨハネとして、

大切な役割を担う人物として記録されています。

 

ここで私たちに与えられるメッセージです。

 

私たちの人生にも様々な問題が起こります。

しかしイエス様を信じ生きる私たちにとっては、

実は問題はもはや問題とはならないということです。

 

何故でしょうか?

 

私たちは問題を通して、

神の偉大なる力を体験することになるからです。

 

問題とは私たちにとってもはや問題ではなく、

問題が起こるからこそ神様への祈りと導かれ、

そしてその祈りの結果神の偉大な働きを体験するという、

驚くべき祝福を体験することになるのです。

 

このことを知った上で、

では私たちの問題とは何であるのか。

 

それは祈らないことです。

 

問題があることが問題なのではなく、

問題の中で祈らないことが問題であり、

祈りへと導かれるならばその結果は必ず、

神の偉大なる働きを見ることになるのです。

 

 

問題が問題となる理由は、

私たちが問題のために祈らないことです。

 

祈りの人は問題が襲ってきても、

これは私たちが神の偉大な働きを体験するために、

必要なものであるということを知っているのです。

 

だから私たちは問題が起こっても祈り、

問題が起こらなくても祈り、

祈りを持って日々を過ごすということです。

 

祈りとはクリスチャンである、

私たちに与えられている大きな特権です。

 

この特権を私たちは大いに用いることです。

用いることができる人だけが体験できる、

神の偉大なる働きがあるということです。

 

 

www.ljpchurch.net

 

www.youtube.com