聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

真の自由を得る人生 キリストにあって自由

今日は聖書からのメッセージ、

ということで書いていこうと思います。

テーマはキリスト者の自由についてです。


早速聖書の中にこう書かれてあります。

 

ガラテヤ5章1節
キリストは、自由を得させるために、
私たちを解放してくださいました。
ですから、あなたがたは、しっかり立って、
またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。



キリストが来られた目的について、
それは私たちに自由を得させるためであると。
解放を与えるためであるのだと。

キリストがこの世に来てくださり、
十字架で死に復活をされたことにより、
それを信じる私たち一人一人には、
自由が与えられているという事です。
すでに解放された者であるという事です。

では私たちは何から自由を得たのですか。
何に縛られていたという事でしょうか。

それは律法主義的な教えであります。

私たちクリスチャンとは、
法主義的な教えから、
完全に解放された者として、
そこから自由を得た者として、
生きているのだという事です。

ところがですよ!!

多くのクリスチャンが、
今も律法の中に閉じ込められてはいないか、
クリスチャンとしての自由を持っていないのではないか、
そう思わされているのであります。

クリスチャンだから、
こうしなければならない、
ああしなければならない、
こうあるべきだし、
こんな事あってはならないという感じ。

例えば!!

私たちはクリスチャンだから、
教会に行かなければならないという件について。

もちろん私たちクリスチャンは、
毎週日曜日に教会に集って、
私たちの神様を共に礼拝しています。

しかしそれは律法によることではありません。
律法によって定まっているからではありません。

私たちが日曜日に教会に集まって、
神様を礼拝するという行為は、
恵みから生み出される行為です。

エス様の福音の恵みを覚えるときに、

あまりにも感謝で、

あまりにも有り難くて、

あまりにも嬉しくて、

感動するあまり、

礼拝したくなるという事です。

奉仕にしても、
献金にしても、
伝道の働きにしても、
何にしても、

全ては恵みから始まる事です。

クリスチャンだからそうするのではありません。
クリスチャンとされるという、
神様の驚く恵みに授かる事ができたから、
だからそれに対する応答として、
礼拝、献金、奉仕、伝道、祈り、黙想、
それらの行為が起こってくるという事です。

そこには一切強制はありません。
義務とか無理やりではありません。
縛られているのではなくて、
自由から行われている事なのです。

自分の意思で自ら、
そこに向かって生きるという事です。

そこには喜びしかないのです。
感謝と賛美しかないのです。

この恵みという道から、
クリスチャンは決して外れてはなりません。


しかし!!


とても残念なことに、
クリスチャンとして生きる人々が、
何かこう喜びを感じていないというか、
感謝も感動も失われているというか、
単に惰性で生きているかのような、
そんな状況に置かれているのではないでしょうか。

そうなる理由として考えられる一つの事は、
やはりその人自身が神の恵みを忘れている、
神の恵みではなく何か自分がやろうとしている、
肉の力で、肉の経験で、肉の知恵で、
それらを行おうとしているという事です。

つまり縛られているという事です。

こうでなければという思いに、
こうあるべきだという思いに、
縛られているという事です。

もしクリスチャンとしての生活に、
今はあまり喜びを感じないという事ならば、

その人はもう一度、
神の恵みの中に入っていかれることをお勧めします。



どうすれば良いのでしょうか???



祈りと御言葉の中に入っていくことです。


これは私自身が体験している事です。
もし祈りと御言葉の生活が失われるならば、
私自身牧師としての働きを続ける事はできません。

神様の恵みがなければ、
絶対に不可能な事です。

私は現在まで15年間、
神様の恵みに背中を押していただき、
牧師として働くことができました。

自分の力、自分の知恵、自分の方法、
によってならばとっくに倒れていたでしょう。

私自身がこの15年間努力したことがあるとすれば、
神様の恵みにしがみついたことであると言えます。

すなわち祈りと御言葉の生活です。

祈りと御言葉の生活の中でこそ、
キリストのくださる恵みを発見します。

祈りと御言葉の生活の中でこそ、
キリストの恵みに戻ることができます。

祈りと御言葉の中でこそ、
活き活きとしたクリスチャンライフの為の、
栄養素が全て含まれているという事です。

キリストの恵みに留まり続ける、
唯一の方法が何かと言うと、
祈りと御言葉の生活を絶やさないことです。

キリストの恵みの中で生きる人は、
強制されてではなく、
義務からではなく、
無理やりでもなく、

心から喜んで感謝して、
クリスチャンライフを生きる選択をします。

クリスチャンだからではなくて、
クリスチャンとされたから、
そこから来る感謝と喜びによって、
クリスチャンライフが伴うという事です。

神様の恵みによって、
クリスチャンとされた私たちが、
キリストにある自由を持って歩めるように、

縛られた者ではない、
自由な者として歩めたら感謝です。

 

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