聖書のすすめ 日々の黙想ブログ

アメリカのニュージャージーとニューヨークにある日本語教会の牧師から

リーダーとしての資質条件 聖書的幸せな共同体

今日の聖書黙想 20年5月13日

聖書箇所 申命記17章14〜20節

 

序論 今日の黙想の導入

上に立てられているリーダーが、

どういう資質を持ったリーダーなのか、

これはとても重要なことであります。

 

上に立つリーダーによって、

そこに所属する人々の幸せが、

大きく左右されていくということです。

 

国のトップに誰が立つのか、

どのような資質を持った人が立つのか、

それによって国の将来が決定されていきます。

 

そしてそれは会社組織でもそうだし、

学校でも教会でもまたは家庭の中でも、

上に立つ人の存在がとても重要なのです。

 

例えば聖書を見れば、

誰がイスラエルの国の王となるかによって、

その後のイスラエルの繁栄が決定されていました。

 

例えばダビデが王として立っている時には、

イスラエルの国は今までの歴史にになかったほど、

多くを得て力強い国として繁栄をしていったのです。

 

その意味はダビデという王が、

それに相応しい資質を持っていたからです。

 

しかしダビデ以降の王様が、

全員そうだったのではありません。

 

王として立つのに相応しいとは思えない、

そういう王様も存在をしていたのです。

 

その時には間違いなく国の力が下降し、

最悪の場合は国を失ってしまうという、

残念な結果を見ることにもなりました。

 

誰が王として立つのか、

誰がリーダーとして立つのか、

これはとても重要なことであり、

上に立つ者とされたということならば、

それに相応しい資質というものが何か、

それを常に学び追い求めていくことです。

 

では誰がリーダーであるのかということですが、

例えば王だからとか会長だからとか大臣だからとか、

一般的にリーダーとはそのような人々を考えます。

 

しかしリーダーというものは、

例えば親子の関係においても、

親が子を導くリーダーと言えます。

 

また会社の組織にあっても、

会長社長だけがリーダーではなく、

新しく入ってきた社員がいるならば、

先輩がその者を導くリーダーとなるのです。

 

クリスチャンの関係で言うならば、

新しく信者になろうとする人のために、

先に救われた人々がその人のための、

リーダーとして立っていくという事です。

 

すなわちリーダーという存在は、

誰でもなり得るものだということです。

自分が願うか願わないかに関わらずに、

リーダーという立場に置かれるということです。

 

親というリーダー、

先輩というリーダー、

上司というリーダー、

クリスチャンとしてのリーダー、

 

実に様々なリーダーというものが、

この世界に存在をしているということです。

 

故に私たちがリーダーの資質条件について、

しっかりと学んでおくことが重要であり、

それが私たちの置かれている環境の中に、

良い影響を与えていくことになるのです。

 

今日は聖書の御言葉を通して、

相応しいリーダーの資質を学びます。

 

イスラエルの王の条件

イスラエルの上の王となる者の条件について、

今日の御言葉ではいくつかのことが教えられています。

 

箇条書きにすると次の通りです。

  1. あなたの神、主が選ばれる者でなければならない。
  2. あなたの同胞の中から立てられなければならない。
  3. 自分のために馬を増やす者であってはならない。
  4. 自分のために多くの妻を持ってはならない。
  5. 自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。
  6. 神の御教えを手元に置き、一生の間これを読まなければならない。
  7. 自分の同胞の上に高ぶることがあってはならない。

このような王がイスラエルの上に立つならば、

その王は長く王国をおさめることができるのです。

王にとっても幸せ民にとっても幸せだということです。

 

今日はこれら全てを扱うことはできませんが、

この中で特に重要と思える部分について、

考えていくことができればと願っています。

 

それは第6番目の内容であります。

 

 

神の御教えを手元に置き、

一生の間これを読まなければならない

 

 

実はこの部分さえしっかりと行えていれば、

すなわち神の御教えを毎日必ず読んでいれば、

これらの必要な資質についての教えが、

常にそこに書かれてあるのです。

 

1番から7番までの資質についての教えが、

神の御教えの中で繰り返し教えられているのです。

 

だからまず神の御教えを毎日読み続けることです。

神の御教えに常に触れ続けていることです。

この部分がなければ必要な資質も備わりません。

何が必要な資質か何が大切な資質か、

それを知識として知ることから始まっていくのです。

 

例えばダイエットをしたいと願うのならば、

ダイエットのために何をすれば良いのかという、

正しい知識を得るために情報に触れ続けることは、

とても重要なことであるということです。

ここから始まらなければ何も起こらないのです。

 

リーダーとしての正しい資質に対する知識、

これを常に学んでいくことから始めるのです。

それが知識として与えられていくならば、

具体的にそう生きようと考えるようになるのです。

 

神の御教えに触れ続けているときに、

高ぶってはならない、

馬を増やすことばかりを考えてはならない、

多くの妻を持っていてはならない、

銀や金を過剰に持っていてはならない、

こういう教えに触れ続けることになるのです。

 

私たちが聖書的に幸せな共同体(コミュニティ)

を導いていくことのために必要なことは、

常に神様の御言葉に触れ続けていくことです。

毎日の聖書黙想と祈りを大切にすることです。

ここから始めていかなければならないのです。

 

何故聖書でなければならないのか

リーダーの資質を得るためには、

それに関しての書籍はたくさんあります。

ネットを見てもリーダーについての教えが、

そこら中にあふれているという状況であります。

 

しかしその中にあって、

なぜ聖書から学ぶことを主張するのか。

 

それはイエスキリストというリーダーほど、

偉大なリーダーは存在していないからです。

 

エスキリストとは、

今から約2000年前に生きていた人物です。

しかし彼がこの地上を去ってから、

すでに2000年という年月が過ぎ去っても、

いまだに世界の20億と言われる人々が、

彼を愛し、尊敬し、称賛し、礼拝し、

また彼から学び、従おうとしています。

 

またイエスキリストとは、

一つも学校を作ったことはありません。

しかしイエスキリストについて学ぶ学校は、

世界中のあらゆるところに満ち溢れています。

 

またイエスキリストは、

一曲も音楽を作ったことはありません。

しかしイエスキリストを賛美する音楽は、

この世界の中に満ち溢れるほど作られており、

また現在も新しい曲が作られ続けているのです。

 

またイエスキリストは、

慈善団体を作ったことはありません。

しかしイエスキリストの名の下に、

世界の中に多くの慈善団体が存在をしており、

世界貢献に役立っているという状況にあります。

 

このようにイエスキリストお一方により、

あらから2000年が経過した今の時代にも、

多くの影響が与えられているのであります。

それほど優れたリーダーであったのです。

 

故に私たちが聖書に毎日触れて、

エスキリストの教えを学ぶということ、

神の御言葉を学び続けていくということ、

これはとても重要なことであり、

私たちの日々の生活において、

特にリーダーとしての歩みにおいて、

大きな良い影響を受けることになるのです。

 

最後に一つの御言葉です。

 

マルコ1章14〜15節

14 ヨハネが捕らえられて後、イエスガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。

15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

 

もし私たちがイエスキリストに学ぶリーダーとなるならば、

私たちが置かれている全ての環境において、

そこに神の国が近づくということが起こるようになります。

 

神の国には何があるのでしょうか。

 

愛です。

喜びです。

平安です。

祝福です。

幸いです。

感謝です。

賛美です。

赦しです。

助け合いです。

励まし合いです。

 

エスキリストに学ぶリーダーが、

その共同体を導くことができるならば、

その中にはこれらのものが溢れるのです。

 

神の国であるかのような共同体、

聖書的幸せな共同体へと導くために、

私たちがまず聖書の御言葉に毎日必ず触れることであり、

エスキリストからその資質をしっかりと学ぶことです。

 

まずあなたが幸せなリーダーとなれますように。

 

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